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リレーコラム

スポーツを考える

◇障害者の競技日常に

 「障害者スポーツ」のスポーツとしての面白さを伝えるウェブサイト「挑戦者たち」での情報発信、競技大会のインターネット生中継「モバチュウ」、障害の有無に関わらず誰でも楽しめる競技の体験会などを実施している。

 昨年9月の開催決定から時間がたつにつれ、不安な気持ちが膨らみ始めている。招致活動の時には見えていた「東京オリンピック・パラリンピック」からパラリンピックの姿が消えつつあるからだ。

 健常者のスポーツは日常生活の中にある。テレビをつければ野球やサッカーの中継が行われていて話題になる。だが、障害者のスポーツは日常には存在しない。そもそもスポーツをしている障害者が少ない。選手の発掘、育成システムが整っているオリンピック競技に対し、パラリンピック競技は偶然の出会いに頼らざるを得ない。

 一般の国民にとっては壁の向こう側に障害者というコミュニティーがあって、そこで行われているのが障害者スポーツで、その中から能力の高い選手がパラリンピックに出場する。国民は彼らが頑張っている姿を見て心から感動して拍手を送る。そこに悪気はないし、罪もないが、やはり別世界の出来事になってしまっている。だから時間がたつと忘れてしまうのだ。

 パラリンピックは「超エリートスポーツ化」している。選手たちが生活のすべてをかけて情熱を注いでいるのは「スポーツ」であり、自分たちは「アスリート」であるという自覚を持っている。

 だから「障害者スポーツ」という呼称には違和感がある。バスケットボール、サッカー、バレーボールと同じように「スポーツ」の中に入れて、車いすバスケットボール、ブラインドサッカー、シッティングバレーボールと競技名や種目名で呼びたい。

 障害者スポーツの事業化を目指している。2003年にネット配信を始めた時、「障害者をさらし者にする気か」「障害者をネタに商売でもする気か」と批判された。「さらす」という言葉は「見てはいけないものを見せる」という意味を含んでいる。障害者を特別視するような社会を変えるためには事業として続けるしかないと思った。

 善意のボランティアは尊いが、長く続けることは難しい。商品やサービスを作り、それを社会に提供し、その対価として金銭をいただく。お金が動くことは当たり前の経済活動で、金額が大きいほど関わっている人たちは多いことになり、みんなが幸せになれるのではないか。

 20年はゴールではなく、よりよい社会を作るためのスタートだ。人種、性別、年齢、障害の有無などを問わないユニバーサル社会の実現のための活動を続けていきたい。【構成・写真、落合博】=隔週土曜日掲載

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 ■人物略歴
 ◇いとう・かずこ

 1962年生まれ。車いす陸上の観戦をきっかけに障害者スポーツに関わるようになり、2005年にSTANDを設立。著書に「ようこそ、障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜」。

毎日新聞 2014年12月06日 東京夕刊より転載

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伊藤 数子

カテゴリー: リレーコラム, 伊藤 数子

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